大火と都市開発

大江戸地図作成の中で、神社周辺地域への参詣者が、行き交う経路が都市開発への大きな影響力として捉え考えられるといった点に注目してみると、人々の暮らしの中での賑わいが垣間見られるようです。

明暦3年の大火によって架橋された「両国橋」には、火災によって逃げ遅れた人々の事実を受け止め、後に老中たちが防災・防火の意の元、架橋された経緯があります。

このような形で、江戸の街づくりが行われ、人々を慰め、人々の苦悩を鎮魂する「回向院」への参拝者たちが、周辺地域を行き交う事で、憩いの場が広がり賑わいをみせたようです。

人が自然に集まった場所が、「盛り場」ではありますが、人が集まるには理由があり、その必然性をもって都市が生まれているようであります。皆さんは、このような、都市開発への考え方をどう捉えますか?

これからの日本の街づくりを考える上で、重要な歴史的事実になるのではないかと思われます。