地図と時間の流れ

“現在は、インターネットの普及もあり、人々が文字記録に依存する度合いは高まっているといえます。たとえば携帯電話のメール機能などが誕生する以前は、仕事等にもよりますが、文字を記し、残すということは今と比べて少なかったのではないでしょうか?
さらにSNSなどが発達すれば、自ら発信し文字を「残す」ことも簡単になりました。写真やビデオなどの動画はもちろんです。

ですから、それら記録メディアが一般的でなかった明治時代以前にはもっと自由な想像が可能なのです。現代は自ら「残し」その情報が無尽蔵に堆積されてゆきます。古地図を眺めることとは、自由な空想と、対照的に地図というきわめて具体的ともいえる「データ」がおりなす、フィクションとノンフィクションの境目を歩くことであり、それを好む人々は、いまこの目の前に堆積するリアルな現実から解放され、そのような状況に身を委ねたいという願望をもっているのかもしれません。
様々なデバイスが広まった今だからこその地図の楽しみ方も多くあるのではないでしょうか。”